母の部屋に入ると
私に気づいた母が必ず言うこと
「忙しいのに来てくれて・・すまないね」
挨拶がわりの第一声
母に記憶されているのは
ずっと若い頃の自分と私
いつも変な咳をしていて
微熱があって
顔色の悪かった私
無意識に強く記憶されているのは
いつも私がそんな状態で
いつも母が心配していたから
そんな娘を気遣って
義母に遠慮しつつも
頻繁に手助けしてくれた母
休みの日も
子守りを頼んで
溜まった経理の伝票を
書いては仕分けしていた
「少しは横になれたらいいのに」
いつも母の口から出ていた言葉
我慢強いのも玉に瑕
母譲りだったから仕方ないけど
それでも焦ったく思ったらしい
「たまには仮病でもいいから倒れてなさい」
そんなことを言われたこともある
私の子供の頃の記憶は
いつも悔しそうに
毎日くる小姑達を見ていた母
「我慢しなきゃいけない」
それが当たり前のこととして
無意識に記憶されていた
アメリカで家族四人で生活をして
環境を変えることで
人は考え方や価値観が
変えられるように
嫌な記憶を
別の見方、考え方にできる
そんなことを実感しました
今の母の記憶にあるのは
かなり昔の娘の姿
もう引退して何年も経ったから
私は忙しくはないし
健康状態が悪いわけでもない
足の怪我は元に戻らないけど
我慢することも随分減ったけど
母の記憶は(頑固でもあるし)
もう変えられないかもしれない
あなたにも
無意識に記憶されていること
あるでしょうか?
「忙しいのに悪いわね」
その度に
ありがとう、大丈夫よ
耳も遠くなった母には
聞こえていないかもしれないし
聞いていないかもしれないけど
せっせとリンゴ煮を持って
今日も行ってきました
帰りに山田餅に寄って
みんなのおやつを
娘が子供の頃から好きだった
「おしもん」もあったので
懐かしくて買ってきました
暖かくなると作らなくなる
どて煮と味噌おでん
前日から仕込んで
昨日は孫達も大喜びで
たくさん食べてくれました
3日の雛祭りは
娘宅でちらし寿司をご馳走に
私が行かないと作ってもらえないかもと
孫から「ヨーヨ、必ずきてね!」
前もってラインが(笑)
父親が遅い帰宅なので
三人だけで食べる時は
娘も作る張り合いがないようで
私が一緒に食べるならとの
条件付きらしいです
行かない曜日でも
イベント日には声がけしてもらい
一緒に食事できること
本当に「ありがとう」
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