腹立たしい記憶・・・情動的記憶 4月12日。
いつものように苺とパイン、
昨日母のところに出かけた。
ウトウトしてテレビを見ていたが、
すぐ起き上がり、
カーディガンを肩に羽織る。
「生の物が出ないから、本当に美味しい。」
いつものように喜んで食べた。
持ってきた甲斐もあると思える。
突然、年金の話を始めた。
「私は年金一期生だから」
何のことかと思ったら、
母が疎開で三菱に勤めた時、
年金制度が始まったという。
本当かどうか私はわからないが、
その後やめるときに一時金制度があって、
当時ほとんどの人が「5万円くらい?」、
申請したそうである。
「私はもらわなかったの、
そのお陰かどうか、
40年払ってあったので、
同年代の人より、
ちょっとだけ多いらしいわ」
そうなの?
母は結婚してからは専業主婦、
ただし父の会社から給料は出ていた。
材木置き場の掃除や片付け、
手伝えることはやっていた。
但し、一度も給料は受け取っていない。
年金は給料から引かれるので、
ずっと払ってはあった。
お金は・・・
義弟の借金返済に消えていった。
そのことは私も知っていた。
お金もないのに、
小豆相場で先物取引、
信用取引をして借金が残った。
本人は逃げ回るだけ、
保証人は父。
父はもう一人の義弟の保証人もしていた。
借りても失敗したら知らん顔、
「お義兄さんお願いします。」
母が自分名義のお金を、
手にしたことはなかった。
その時のことを思い出して、
ずっと話は続いた。
義妹たちが何も自分に言わずに、
知らん顔をしていたこと。
毎日うちに来ていたのに、
挨拶一つなかったことが腹立たしかったと。
自分勝手な人たち、
私はそう思っていたし、
昔から嫌いだった。
結婚式にも「呼んでほしくない」と、
父にはっきり断ったが、
それは却下された。
失くなってしまった物は仕方ない。
他にもまだ父はたくさん失った。
それでも今、母は何とか元気でいてくれる。
昔の記憶、
悔しい思いを散々してきたことは、
はっきり覚えていた。
強い情動を伴った記憶は、
しっかり脳が覚えているそうだが、
母にとっては忘れたくても、
出来ないことなのかもしれない。
できることなら、
楽しかった記憶が残るといいね。
娘が用意してくれたディナー、
焼き豚と筍ご飯、
母も好きだった。
コメント