自分の当たり前は自分だけのもの 11月12日。
まだ売っていた無花果を持って
母のところへ
「まあ、嬉しいわ」
いつもながら本当に美味しそうに食べてくれる。
用意しておいた着替えは
ご丁寧にバッグごとクローゼットにあった。
いつもは引き出しに戻してあるのに
なぜ今回はクローゼットなのか
私の目につきにくいと思ったからか。
特にそのことには触れず
また着替えとタオルを2組用意していたら
「今日の午後診察があるの」
2週間に1度の往診のようだ。
「土曜日に変えたけど
全部着替えておこうかしら」
引き出しを整理していた手を止めて
母の顔を見た。
気が変わらないうちにと
すぐ衣類を出すと
自分から積極的に着替え始めた。
少し前から
着替えようか、と促すことをやめた。
「洗濯物を出す日に着替えることにしている」
固い決意のもと自分で決めたことなら
お風呂の日に下着は変えているようだし
今までのように着替えをしなくなったからといって
以前のようにすることもないように思えてきた。
自分の当たり前が
必ずしも母の当たり前でなくなった
それだけの事。
生活環境が変われば
それまでの習慣が変わるのかもしれない
「人に迷惑をかけないように」
洗濯物をあまり出さないようにしているのなら
それは母の考え方
認知症のせいばかりではないかもしれない。
どうしても
今までできていたことができなくなると
元のようにと手助けしがちだが
時には余計なお世話かもしれない。
できることは他にまだあるから
がっかりしなくてもいい。
人を変えることはできないけど
自分が、自分の考え方を変えれば
老いていく親を看ていても
そのままを受け入れられるのではと
たかが着替えとはいえ
1年以上試みていたことをやめて
いい経験と思えば
なんだか気が楽になった。
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