記憶が鮮明に蘇るのは何故?

正直な気持ち

記憶が鮮明に蘇るのは何故?
4月9日

 

物覚えがよくても悪くても

脳では記憶の「書き換え」作業が行われ

短期記憶から長期記憶に移行されたり

容量の限界をうまく利用して

忘れることで新しい記憶を得て

それなりに情報処理をしている。

 

 

 

あるものを見ると必ず思い出すこと

光景、食べ物、香り、音・・・

私は「あん巻き」を見ると

父のことを思い出す。

子供の頃

父の建築現場が知立方面だと

必ず名物のあん巻きを

お土産に買ってきてくれた。

どら焼きのようなもので

四角い生地であんこが巻いてある

パンケーキのようなもの。

「なんだ、女か」と言われて

生まれた時に顔すら見にこなかったと

母からは聞いていたから

父には好かれていないと思っていたけど

あん巻きを「ほら」と見せられたときは

嬉しくてたまらなかった。

本当に父がそんなことを言ったのかどうか

母の性格を少しずつ理解できる年になって

「〜さんにこう言われた」

「〜さんがこんなことを言ってた」

この類の話が

必ずしも事実ではなかったことに気付いた。

母には話を聞いてもらえる人が

きっといなかったのだろう、その当時は。

 

 

 

自分の話をまともに聞いてもらえない・・・

「嘘じゃないわ」

先日ホームからの電話で

母が「お金を盗まれた」と騒ぎ出し

どうにも興奮が収まらず

「話をしてもらえますか?」と。

今に始まったことではないが

三年ほど前に

引き出しの鍵をかけずにいて

頼まれて届けたまとまったお金が

なくなったことがあった。

食事時もお風呂の時も

当時は部屋の鍵をかけることなく

こちらの不注意だったので

母も納得して(したはず)

それ以降大金は部屋におかず

引き出しは勿論、部屋を出る時も

必ず鍵をかけるようになった。

当時母は

「年寄りだと思って

誰もまともに話を聞いてくれない。

私の勘違いだと言われて・・・」

確認のためか連絡があって

「お金は私が持っていき

銀行の封筒に入れ引き出しに入れた」ことを伝え

母の供述と同じということで

やっと「嘘」ではないと。

 

 

 

認知症だから

直ぐ忘れることはたくさんある。

何を忘れ何を記憶しているか

その時の心理状態も関係している。

脳は現実に起きていなくても

強い情動を伴うと

実際に起きているとことと勘違いして

体に変化を起こす。

映画を見ていて怖い場面で

心臓がドキドキする

思わず息を飲む

脈が早くなる・・・

こんな経験があると思います。

 

 

自分の言っていることを

真剣に聞いてもらえない
(嘘を言っていると思われている)

そう感じた時は

母に限らず悲しい気持ちになる。

認知症でも

喜怒哀楽はあるから

「お金」のことは

以前なくなった時に母が感じた

悲しみ、怒りの感情が強く残っていて

何か、言葉、態度のようなものが引き金となって

以前の情景が蘇って
(本人の思い込みも強いが)

つい最近に起こったことのように

思ってしまうのだろう。

「大柄の男の人が

お金と、バスタオル、グレーのコートを

私の目の前で持っていった」

「警察に連れていって」と電話口で叫ぶ母に

私が代わりに行って

盗難届を出しておくからと約束して

やっとその場は収まった、

嘘を言ったことになるけど・・・

 

 

 

今日ガラス越しに会った母は

そんなこともすっかり忘れて

「忙しいのにいつも悪いわね」

特別なものは用意して行かなかったけど

今日は母の日

届けた苺を喜んでくれた。

 

帰る時「あら、文藝春秋は?」

発売日は10日

日にちを間違えたふりをして

私が買い忘れないように

それとなくほのめかしたのかもしれない

母のことだから。

連休は家族全員で揃う時間がなかったので

今日娘の家でバーベキュー。

肉は息子が買っておいてくれ

あとは娘たちが用意してくれ

ワイワイと楽しい時間を過ごすことができ

私もいつもより食が進みました。

 

 

以前出版したエッセイ40冊のうち、前半の19冊を朗読、YouTubeにアップしてあるので、よろしければお聴きください。https://www.youtube.com/channel/UCHZ2mIMhF6dW5Zio1R2sV0g

 

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