人の心理

記憶は作られる

先月、ずっと疎遠だった叔父から
突然電話をもらって
近況を聞いて以来
時々叔父の家に行くようになった

 

最後に会って話したのは
祖母の葬儀の時
私一人一時帰国中で
色々なことが同時に起こり
慌ただしく頼まれごとをして過ごし
アメリカに着いたら
まさかの入国拒否

 

昨日母に会いにきた弟を連れて
叔父の家に行って
その時のことを話した

娘が生まれた時は
近かったこともあって
叔母が手伝いに来てくれた
洋裁を教えていたので
娘が幼稚園で使う袋物
何個も作ってくれた

 

母の若い頃の話は
祖母から時々聞いていたが
学生時代体が弱かったと
聞いたことはなかった

認知症が進んでから
母がいつも話すのは
「250人中私が一番弱かった」
「還暦の集まりに行ったら
私がまだ生きていたことに
みんなが驚いていた」

 

ランチを食べながら
3回以上はそのことを話す母

母の兄妹も亡くなったり
高齢で認知症が進んだりで
確かめることができなかったけど
昨日叔父に聞いてみた

 

「嘘だわ、姉ちゃん健康だったよ」
「そんな長期欠席なんてしてない」

 

やっぱりそうか
ずっと疑問だったけど・・

母が若い頃
占いの人に見てもらったら
「あんたは早死にする」
別の人に見てもらっても同じことを言われ
そのことは聞いたから
私も覚えている

子供心に
綺麗だった母は美人薄明なのか?
そう思ったこともあるが
そのうち私は忘れた
多分母もさほど信じては
いなかった様に思えた

 

認知症になって
なんでもすぐ忘れてしまうけど
昔のことは鮮明に
ただ事実だけでなく
強く感じたこと
自分の思い込み
「そうかもしれない」が
いつしか「そうに違いない」と
勝手にストーリーが
作られていく

戦争を体験している母の世代
特に若い頃の自分を
懐かしく思い出すようだ
一学年下の生徒が
爆撃で大勢犠牲になったことは
叔父の話も一緒だった
母が運良く助かった
それは事実だった

 

 

一昨日の土曜日は
珍しく天然のヒラメがあったので
煮付けを作ってみた
子供の頃母がよく
鰈の煮付けを作ってくれた
味はもう少し濃かったけど
なんだか懐かしい思い出

小姑が多くて
私に身を食べさせたあと
いつも母は湯を注いで
骨の周りの身とスープを
「義姉さんは骨が好きね」
意地悪な叔母達のことは
覚えている

先週娘宅で食べた夕食の写真

家族で食卓を囲み
美味しいねと言える
本当に幸せな時間

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