「日間賀なら蛸ね」と母

無意識

先日息子が日間賀島に
ランチに連れて行ったくれたことを
写真を見せて母に話した時
昔日間賀島の方が
奉公に来ていたことを思い出したようで
当時のことを話し始めた。

 

まだ子供だったけど
皆がおみやげのスルメを食べていた時
「私はいつもタコの足炙って食べたわ」
足は大きくて食べでがあったし
本当に美味しかったから

祖父は40代で亡くなったけど
商売は順調だったらしく
住み込みで働いている人もいて
日間賀島、篠島からも
若い女性が来ていたそうで
割と裕福な時代だったらしい。

 

母にとっては
「とてもいい思い出」として
しっかり記憶されている
懐かしい情景だったようだ。

 

私がまだ5〜6歳の頃
祖母と叔父と三人で
日間賀島に行った記憶が
微かにあるけど
その時祖母が
「以前うちにいた子が遊びに来てって・・・」
祖父が亡くなって
落ちぶれた(祖母曰く)のに
何度も誘われたので
孫の私を連れて行ったらしい。

 

今日もまた母と話した時
「西と東があって
西の方が賑やかだったわ」
母も行ったことはあるようで
その時は「西側」で下船したらしい。
(私は先日東だった)

若い頃は
辛いこと嫌なことの方が
無意識に記憶される場合がある

歳を重ねると
「良い記憶」の方が
鮮明に残っているのかもしれない
場所、もの、言葉から
当時の印象に残っている情景を
はっきり思い出す

 

5分くらいの間に
「日間賀島はタコ」の話三回
私が若かったなら
その話今聞いたと言っていたかも
歳を重ねたからこそ
何度でも「そうだね」と聴ける
こんな時間も悪くないと思えるのも
今だからこそ

昨日は久々にパスタ
ミートソースを用意したら
孫達も喜んでくれました。

 

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