Story_of_Lancater

1、ハリソン・フォードが熱演した「刑事ジョン・ブック 目撃者」の影響でカントリーライフに憧れる平凡な主婦

 最初はアメリカ人の友人と見た「目撃者」。 劇中「ほら、ここ行ったのよ」と説明されたのは、アーミッシュが観光客に殴られたシーン。争いを好まないアーミッシュのことを初めて聞きました。映画ではどんな生活をしているかはわかりましたが、それに補足して友人が説明してくれました。映画ではそんな彼らの生活ぶりが描かれていましたが、資本主義の世界と違い、競争のない、人と争わない生き方はすがすがしさを感じました。情報社会の現代では、毎日いやでも大量の情報を受け取っていますが、アーミッシュの生活はタイムスリップしたような、どこかホッとするものがありました。ランカスターのアーミッシュが強くインプットされた映画でした。


2、海外旅行もカントリーライフを満喫できる大自然の残る場所ばかりに行きまくる

 古き良き時代のアメリカ人の生活は、昔テレビで見た「大草原の小さな家」のイメージでしたが、ただアメリカの当時のストーリーは、開拓精神というか、ネイティブのインディアンの領地を力で奪っていくという、その頃は気づかなかった部分がありました。アーミッシュの生活がいいと思ったわけではなくても、子供の時の記憶が蘇ったのかもしれませんが、自然に囲まれた、緑に囲まれたイメージを植え付けられてしまいました。仕事が忙しく時間に追われて過ごす日々、家族でゆっくり話す時間もない生活は、将来のことを考える余裕もありませんでした。そんな時思い切って3週間の休みを無理矢理取って、アメリカの友人を訪ねました。緑に囲まれた環境で過ごす毎日は、時間がゆっくりと流れているような、それまでに味わったことのない何かが満たされるものでした。ゆとりある生活とはお金だけではないと言うことも感じました。こんな毎日が過ごせたら、そんなことを考えていました。ニューヨークのような大都市は活気はありますが、住むなら芝生に囲まれたカントリーライフの方が落ち着くと思っていました。オーストラリアへ行った時も、シドニーから車で一時間ほどの街へ行き、釣りや海辺の牡蠣を採ったり、ワイナリーに行って楽しみました。観光地に行かなくても家族で一緒にできることがあれば子供達も喜びます。主人は海に近いところでの釣り三昧に心惹かれ、アメリカよりオーストラリアに住みたいと思ったようです。アメリカには友人も大勢いたので、私はアメリカが良かったのですがこの頃から目的地が少し違ってきたようです。まだ移住など考えていなかった頃ですが、少しずつ英語圏に住みたいという願望はありましたが、実現できるとは思っていませんでした。長男で家族の生活もかかっている状態では、自分たちのことだけを考えて行動することは、到底無理なことと思っていました。オーストラリアはヨーロッパで異端児扱いされた人が多い国、そんなイメージもありました。人の性格は明るく物事をくよくよ考えないようで、人生を楽しんでいるのは伝わってきます。仕事をしないで失業保険で暮らしている若い人も多いそうで、国の保有する資源もあります。ただ日本人のように一生懸命働くという考え方がないのかもしれませんが、資源を輸出して加工されたものを輸入しているということも聞きました。資源があるならもっと豊かになれそうですが、地道に働く国民性ではないのかもしれません。悲観的な考え方をしないのはいいことだとは思いましたが、開放的な雰囲気というものは国民性の違いなのかもしれません。旅行から戻ればまたいつもの忙しい生活に戻り、現実世界に身を置くことになります。しかし主人はずっと考えていたようです。夏休み、冬休みに行き日本とは反対の季節を体験して、時差が少ないことも気に入ったようでした。アメリカに旅行で行ってから、もっと生活を楽しみたい、子供たちと一緒の時間を過ごしたいと思っていたのでしょう。ある日「仕事を辞める」と言いましたが、わたしは「いつですか」と聞いたことを覚えています。不思議ですが「なぜ」とは聞かなかったのです。辞めてどうするのかはまだその時は知りませんでしたが、無謀なことだとは思っていませんでした。他にやりたいことがあればやればいいという考えでしたので、反対はしませんでした。主人と私の考えが決まり、家族で夢を叶える準備に入りました。


3、カントリー生活に憧れる家族の夢が叶うと思った直後にまさかのアッパーパンチ

 カントリー生活というと、どの国をイメージするでしょうか。私はてっきりアメリカだと思っていたのですが、主人が描いていたのは違ったようです。「オーストラリアに移住する」と聞かされた時は少し驚きました。「アメリカじゃなくてオーストラリア」だったので、ちょっと意外でしたが、それはそれでいいのではと思うようになりました。それから1年以上かけて準備、書類申請まではやることが多くて忙しい思いをしました。荷物を梱包して運送会社の倉庫に預け、仕事も片付けて狭いマンションに引っ越しました。ビザが下りたらすぐ出発できる状態で受け取ったのは、まさかの申請却下。想定外の結果に当然意気消沈、しばらくはショックで今後のことを考える気にもなれませんでした。私は子供達の世話や日常の家事があるので深刻になっているわけにもいかず、主人がどうするつもりなのか話すまで待っていました。また元の生活に戻るのか、それとも仕切り直しで別のことを始めるのか、仕事をどうするつもりなのか、本人が何を考えているのかによって変わってくるので、はっきり考えがまとまらないうちは余計なことは言いませんでした。子供達の将来のこともあるので、どう考えているかはある程度理解していました。しかし状況が変わってきたので、もう一度他の方法を考えなくてはいけないことだけは確かです。両親はまた今まで通りの生活を望みましたが、一度決めたことを簡単に諦めるようなことをしない性格ですから、私は主人が冷静に今後のことを考えると思ってしばらくは様子をみることにしました。すぐどうこうできることではないので、オーストラリアがダメなら移住を諦めるのか、それとも他の国に行くことにしてまた検討するつもりがあるのか、すぐに決められることではありませんでした。半年近くは「これからどうしよう」という状態で何も決められないままの生活が続きました。思い描いていた未来の予想図が突然白紙になっても、すぐ替わりの絵を描くことができないままで時間だけが過ぎて行きました。


4、アメリカ人の宣教師に口利きしてもらいアメリカで生活するための具体的な方法

 家族全員脱力感でどん底状態の時、10年ぶりにアメリカから友人夫妻がやってきて顔を見るなり「誰かが末期ガンにでもなったのか」と血相を変えて私の顔を覗き込んで問い詰めてきました。この友人は英語のレッスンでずっとお世話になっていた方で教会関係の家族、その方の教会のメンバーとも懇意にしていました。日本での生活の悩み、不安の相談に乗ったり、些細なトラブルの解決をしたりしてずっとお付き合いはしていました。子供がまだ幼かった頃は、夏の2ヶ月間、二人以上のメンバーのホストファミリーをすることになり数年の間に十人以上の方達が我が家で過ごし、家族ぐるみでお付き合いをしていました。久々に二家族の想い出話でもり上がったのち夫が悩みをうちあけたところ「カントリーライフならアメリカでできるよ」と言われ、主人は「それもそうだ、でもビザが・・・」と言いかけた時「コネがあるから任せろ」と。それまで正攻法で長期滞在できるビザのことしか頭になかったのですが、思いもよらない方法を提案していただけました。数日後電話が鳴り「ランカスターのESLクラスのビザなら押さえた」と吉報をいただいた。まさに救いの神に思えました。ご縁がずっと繋がっていたとしか思えません。目的地に行く方法は一つではない、別のやり方があるということに気づきました。そこからはトントン拍子に準備が進み、ホームステイを家族でするわけにはいかないからと、タウンハウスを探してもらうことになりましたが、映画で見たあの街に行けるなんて本当に引き寄せられたように思えました。


5、雑用と手続きで押しつぶされそうなプレッシャーを乗り越えランカスターへ引っ越し

 行き先をランカスターに決めてから出発までは、順調に事が進みました。最初からここに行くように導かれていたような気がしたのは私だけではありませんでした。我が家に来た友人たちも本当に喜んでくれて、またアメリカで会う機会ができたと言ってくれました。両親たちも孫の教育のためならと反対することもなく送り出してくれました。本当は行かせたくなかったと思いますが、孫のためという大義名分に折れたようです。今しかできない事、今だからやりたい事、want to ですることは、本当に望んでいる事。そのことをいつも考えていると、脳はそのための情報を探してくれるので思いがけない解決法も見つかります。潜在意識がランカスターがいいと決めていたのかもしれません。子供がクリティカルエイジのうちに、英語圏で教育を受けさせたいという想いは叶いました。諦めないでとにかく行動してきた事が良かったのでしょう。「今の生活を捨てる必要はない」という周囲の意見より、「今どうしてもやりたい事、今しかできない事」を選んだ私たち。やらないで後悔するより、思ったことは行動に移す方を選びました。今の自分が将来の自分に影響を与えるのなら、子供たちの未来も今の選択が重要だと思っていました。幸いなことに夫婦の考え方、見ている方向が同じだったことも実行に移せた大きな要因でした。意見が全く違っていたら、この計画は実行できなかったでしょう。不安よりもワクワクして機上の人となりました。


6、日本人学校はお断り、日本人はアメリカでもムラ社会を形成していた

 いきなり現地校に放り込まれた子供達、日本人は一人もいないクラスでどんな時間を過ごしたか。英語はもちろん話せないから不安しかなかったと思います。「日本に帰りたい」と言うかと思ったら「楽しかった」と初登校の日に笑顔で帰宅。カメレオンのように環境にすぐ順応できました。特に差別や居心地の悪い思いをせず、クラスメートも先生も好意的に迎えてくださったようです。英語がわからなくて困ったことはもちろんあったようですが、そんな時は近くの席の子がジェスチャーで教えてくれたそうで嫌な思いは全くしなかったとのこと。なんてフレンドリーなんでしょう、来るもの拒まずです。初日から「友達ができた」と聞きました。移民の多い国ですから民族の違いは子供の時から肌で感じていること、クリスチャンスクールだったこともあり、小さなプライベートの学校は自分たちのコミュニティーに子供たちを温かく受け入れてくれました。初日から「学校は楽しい」と感じた子供たち、しかし楽しみにしていた日本人学校へ見学に行った時、自分たちは歓迎されていないと感じたようです。日本の企業で海外勤務で来ている方たちのコミュニティでは、どこの会社にも属していない家族は異端児、部外者のようです。大人はそうでもないでしょうが、子供にとって仕事をしないで生活している家族は、変な家族だと思ったのかもしれません。生徒は日本に帰った時に困らないよう、日本の教育を毎週末受けており、帰国した時の受験に備えているわけですから、何年経ったら帰国という目標があるのでしょう。教室に入った時に感じた違和感、歓迎されていないという雰囲気を子供心に感じたようです。「日本人学校には行きたくない」娘ははっきり言いました。私たちもなんとなく雰囲気はわかって「よそ者」だと感じました。個人の付き合いではなくどこか組織に属していないと居心地が悪い、そんな感じの日本人学校に思えました。ここでも日本特有の村意識があるようです。


7、毎晩食事の前にお祈りをするキリスト教へ帰依して事あるごとに懺悔する生活

 友人が宣教師だったこともあり、日頃の生活でも多少窮屈な「こうであらねばならない」という部分は知っていました。一般の方はそこまで熱心でないかもしれませんが、シスターの方はとにかく優しくてどんなことでも受け入れて下さり、困っていれば救いの手を差し伸べて下さる、そんなイメージを持っていました。日本で聖書の教材で英語のレッスンを受けていた時、最後に必ず「Do you agree?」と聞かれました。レッスン内容についてですが、聖書のその章のことに同意するかどうか、同意できると答えると「ではクリスチャンになりますか」と聞かれました。布教が目的なので理解できますが、子供の頃から折に触れお経やお坊さんを身近に感じてきたものとしては、すぐ改宗するということは考えていません。祖母は朝晩お経をあげるような信心深い人でしたが、両親も私達も特別熱心な信者ではありません。家にある仏壇に手を合わせることはありますが、クリスチャンの家庭とは違って毎日お祈りをすることはありません。食事の時に「いただきます」と手を合わせることは当然のようにしていましたが、友人家族とテーブルを囲むときは、一緒にお祈りをしてからいただきますが、そのことには特に違和感はありません。お互い違うコミュニティに属していても、親しい友人とはなんの問題もありません。 でも家族でランカスターに移って最初に教会に行ったとき、友人が私たちのことを紹介して私たちのために祈ってくださいと言われたとき、八十人ほどの中で立って一斉に拍手をされたとき、驚いたのと恥ずかしかったの相まって、とても居心地の悪い、違和感のようなものを感じました。皆さんが優しく祈って下さることには感謝しましたが、私たちはメンバーでもなんでもないのです。友人として列席しただけなのにこれからの生活が安全でありますようにと祈っていただけるのはとてもありがたいことでしたが、そういうコミュニティに慣れていなかったからかもしれないですが、誰かに頼るという安易な気持ちで善意の方達のコミュニティに入るということには、ためらいの方が大きかったです。日本のようなご近所付き合いという自治会のようなものはないので、何か聞いたりするにしても自分たちでやっていくしかありません。急いで仲間を探して頼るのはうまくいくとは限りません。


8、マイカーや電子レンジを使わないアーミッショのような生活も無理

 一時期、家庭菜園で野菜を作ったことはありますが、憧れだけでは自給自足の生活はできないということも学びました。理想と現実は必ずしも一致せず、無農薬で野菜を作る事がどれほど大変なことか、身を以て知ったことは無駄ではなかった。虫除けの農薬をほんの少し使ってはみたが、それでも虫食いの野菜ができるのだから、売られているような見栄えのいい野菜はとても無理ということもわかった。アーミッシュの生活に一種の憧れを持っても、同じ生活をするなんて無理ということは経験して悟ったことです。コミュニティも助け合い、協力し合うことは大切ですが、古い慣習や掟を守らなければ「村八分」のようなものもあります。映画でもそれははっきり表現されていました。残るか出て行くか、厳しい選択です。そんなことも考えてみると、見習いたいところはありますが私達のような現代の生活に慣れきった者には無理です。古い慣習が全てダメだということではなく、いいところは受け継いで見習い、現代の生活に不具合のあるところは変えていく、そんな生活ができないものかと考えてみました。アーミッシュの方も全ての現代文明のものを拒むわけでなく、話し合いで必要だと決まれば取り入れるものもあります。古いしきたりにこだわるだけではなく、新しいものもよく吟味して取り入れる、クオリファイがなされています。厳しいルールでも状況に合わせて緩和するということでしょう。国によっては一度決めた法律を時代遅れとなっても変えることなく、臨機応変に対処できないままの行政が行われている事がありますが、アーミッシュのコミュニティは厳しいようでもきちんと対応しているのですね。それだから一般の人もファームがあいている曜日には、彼らの作ったものを買う事ができるのです。アーミッシュのような生活は無理でも、美味しいものは手に入りました。コミュニティに入らなくても近くでその恩恵を受けることはできました。


9、選択をしない選択で普通に生活できた、家族だけでコミュニテイに属さないで孤立

 教会のようなコミュニティに属さなくても、自分のいるクラス、ご近所付き合いなど人と交わることは自分が積極的に行動すればどこにでもあります。子供達は最初は私立の小さなクリスチャンスクールでしたが、公立の規模の大きな学校に変わったことで、それまでとは全く違うコミュニティに入りました。通っている生徒数もずいぶん多い学校で、最初は戸惑ったようですがすぐに溶け込めました。新しい環境はそれまでとは違った経験もできるのでワクワクすることも多かったようです。競争もありましたが、それすら楽しんでいるようでした。私たちも別のクラスを受けてみて授業内容がずいぶん違う中で、別の楽しみ方を見つけました。少し親しくなると自宅に招いてもっとゆっくり話すようにしてきました。色々な国の情報を生で聞くことができるのですから、メディアとは違う事実に驚くこともたくさんありました。世界情勢が変わると、アメリカへの移民も何処の国から多くなるのかを目の当たりにしてきました。ご近所の家族を招くことも多く、日本のことをほとんど知らない人が多いことにも気づきました。家族で生活しているだけでも人と交わることはできます、ただし自分から行動を起こせばですが。日本人のコミュニティには特に属さずと言うか、どこの会社にも属していないと自然にそうなるものです。他の日本人の方からは孤立してると思われていたかもしれないですが特に困ることはありませんでした。隣人もクリスチャンだと聞いていましたが、奥さんは教会に行っていてもご主人はいつも家にいました。ファーマーだから曜日に関係なく牛の世話で朝は忙しいからと聞き、必ずしも全員が行くわけではないと知りました。アーミッシュのファームへは新鮮な野菜、卵、チーズやキルトの手芸品を買いに行きました。卵は産みたてで濃厚な黄身、卵かけご飯にできるものです。アメリカでは加熱しないで卵を食べることはありませんから、鮮度に拘る人はいないようですが、私たちは新鮮な卵が手に入ることは嬉しかったです。コミュニティ以外の人でも買いに行って手に入れることができるのです。周囲に合わせなくてもいい、個人が決める事だという柔軟な考え方。日本の自治会だと入っていない人には連絡は飛ばして配布物も配らないような村八分のようなことがあるようで、せっかくのコミュニティも気が進まなくても入らなければならないことがあります。それに比べると、アメリカはなんだか大らかで、それまで教会に抱いていた堅苦しさはなくなりました。


10、町内会にも属さず教会にも行かないのに暖かく受け入れてくれた隣人たち

 個人主義のアメリカでもそれぞれ違ったコミュニティはあります。日本のようなご近所の狭い地域での決められたコミュニティとは違いますが、教会、ボランティア、学校のバザーなど、強制ではなく自分がやりたいと思ったコミュニティーに参加しています。ここでもねばならないという考えではなく、自分がやりたいと思うことに参加するという自主的に選択できるところが日本とは違うところです。何事も決めるのは自分、個人であって強制ではありません。教会に行っていた時期もありましたが、日曜日は出かける予定が多くなりやめました。それでも友人とは仲良く付き合いは続けていられました。教会というコミュニティには属しませんでしたが、個人的なお付き合いは別ということで友人はほとんどクリスチャンでしたが、とても親しく付き合っていただけました。特に住んでいた近隣の方とは、みんな相談に乗ってもらったり、何かあればいつ聞きに行っても親切に教えてもらう事ができました。自分たちから飛び込んで行ったら、快く受け入れてもらう事ができたので、人との関わりで困ったことはありませんでした。家の周りに綺麗な花を植えたら、通りすがりの知らない方にも「いつも綺麗に手入れされているわね、ありがとう。私達の地域の価値を高めてくれて嬉しい」と言われたこともありました。誰かのためと思ってやっていなくても、家を手入れすることはそのコミュニティーにとってもウエルカム、ということなのです。何処かの会社、教会に属さなくても、住んでいる所でも連帯感のようなコミュニティはあるということにも気づきました。ある嵐の夜停電になった時、裏庭に面した洗濯機の置いてある部屋のドアを叩く音がしました。ずぶ濡れになった隣人ご夫婦が、オイルランプを持って様子を見にきてくれたのです。「初めてのことで困っていないか」とわざわざ予備のランプを持ってきてくれました。懐中電灯と安定のいい大きなキャンドルをつけていましたが、オイルランプは使っていなかったのでとても助かりました。また日本に帰っていた時に台風のような嵐があって、我が家の大きな木が1本倒れた事がありました。帰ったら短く切り揃えて積んでおいてくれたこともあります。聞きに行って初めてわかったことですが、帰ってくるまで倒れたままでは芝生も痛むし、通行の邪魔になってもいけないと思って切っておいてくれたそうです。特別なつきあいをしていたわけではないですが、隣人と今まで付き合った事がないと言っていたご夫婦が、私たちとは初めて挨拶から始まって話すようになり、色々教えてもらいに行っているうちに、優しく受け入れてくださったのです。自分たちから話しかけるようにすると警戒する事なくわかってくれようとしていただけます。そんな日頃の付き合いが、太い大きな木を「切っておいてやろう」と思ってもらえたようで本当に助かりました。私たちはそんなご近所の方に恵まれた環境で生活していました。


11、日本と違い高校受験がない教育環境だから、親同士のお付き合いも楽で快適でした

 特定の教会のコミュニティの属することはありませんでしたが、地区のコミュニティには属していたことになります。学校区があるので公立の学校に通うためにはスクールタックスを払います。地区によって税金が違うので、教育環境が良く伸び伸びした高校へ通うためにその地区で家を探す、引っ越すという選択肢があります。日本のように土地や家に固執しないので、ずっと同じ家に住むことの方が稀です。私たちも教育環境が良く伸び伸びした地区に絞って家を探し、ランカスターでは人気のある地区の家に移りました。友人の中にはそこに移りたかったけど税金が高かったから諦めたということも聞きました。高校の部活のゲームのチケットなどは、家族が買って協力します。バザーあれば何か作って協力します。義務ではないですが自分のできる範囲で手伝うことはしてきました。これもコミュニティに参加しているからです。日本と違って強制されることは何もありませんが、子供のために援助できることは父兄が当然手を差し伸べます。持ち回りや押し付けのない自発的な協力は、ストレスを感じることなく手伝いたいと思いました。何らかのコミュニティには属しているということになりますが、どこまでも自分で選べるという自由さ。どの友人も家族との時間を大切に思っているので、父親だけが遅くまで仕事で帰りが遅く、夕食の時間が別になるという家庭はほとんど聞いたことがありません。大都市と違いのどかな土地柄だったからかもしれませんが、私たち家族にとっては何より重要なことでした。学校から帰るとずっと家族で過ごすわけですから、週末にはよくゴルフに出かけたり、ボーリングを何ゲームも投げたりして過ごすこともできました。日本に比べてゲーム代が安いので、本当に思う存分楽しむことができました。日本での生活では忙しくて子供と過ごす時間が限られていましたが、アメリカでの生活は一生分とも言えるほど家族で濃厚な時間が持てました。子供の年齢もあり、今思っても宝物のように思えます。教会の友人たちとも過ごすことが多く、時には一緒に教会にも行きましたが、そこでも受け入れてもらえていました。日本では、会社、自治会、PTA、受験塾と行ったコミュニティに属することになります。私たちがいた地域では教会、アーミッシュ、日本人会、PTAのコミュニティがあります。高校までが義務教育なので、私立に進学希望する生徒以外は受験は大学に行く時だけです。親も子供の自立を重要視しているので、高校卒業までは責任がありますが、後は本人の決めることと考えている方が多いです。日本のような塾の送り迎えで忙しい思いをすることはありませんし、ママ友でランチする話も聞きません。女性も仕事をしている方が多く、PTAの会合は夜にありました。こんなことも合理的だと感じましたが、日中は当然仕事で来られないという配慮からだと思います。生活様式に合わせて学校の行事も変わってくるのでしょう。日本でももっと現状に合わせたスケジュールになると参加できる人が増えるのではと思いました。堅苦しく考えないでいける、そんなコミュニティが日本にもあればいいと思いました。


12、ハリソンフォードも愛したカントリーライフの素晴らしさをクールにお伝えします

 メノナイト教会の掲げるキャッチコピー、古い時代の基盤を修復し、再構築し、復活させる。この言葉が好きです。古いからといって何もかも否定するのではなく、古くからの慣習、考え方の良いところはそのまま残し、今の時代に、自分の生活にそぐわないところは直して、それを実践しやすいように考え、さらに新しい考え方を取り入れて自分たちに馴染めるものにして、実行できるものにして使っていく、そんな考え方をしています。古くから受け継がれてきたものには良いところ、残していきたいことがたくさんあります。しかし現代のような便利な物に囲まれた生活、便利な物を日々使っている生活の中で、昔ながらのやり方では全くそぐわない事や物もあります。よく考えてどうしたら今の時代に受け入れられるか、それを考えていきたいと思っています。教会のミーティングは一般の方たちが集まって相談、話し合いをすることも多く、想像しているよりカジュアルなものも多いです。そんな雰囲気を大切にしていきたいと思います。自分らしく生きるには、自分が心地よくいられるのはどんな状態の時なのか、我慢や義務でやっていてはそこに喜びを見出すことはできないのではないでしょうか。楽しいと思える時間を過ごすためには、日常生活の中でどんなことに気をつけたらいいのか、私が本を読んだり経験から感じたことを実践してきて、ずいぶん変われたことをお伝えしたいと思っています。

 

REPAIR, REBUILD, AND REVIVE THE AGE-OLD FOUNDATIONS


最後まで読んでいただきありがとうございます。あなたが悩んでいることがおありでしたら、ぜひお聞かせ下さい。お名前は匿名、ペンネームで構いません。

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